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地域で生き生き


by otomi_goro
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速い!すごい!と歓声

速い!すごい!と歓声_d0048634_883944.jpg

4月20日朝6時半からの不動通りの朝市宣伝。7時から商店街の餅つきも始まりました。お手伝いしますよと、杵を持った「とくとめさん」。その腕前は陽光保育園でためされずみ。「速い!」「すごい!」と、一斉に歓声が上がりました。怒りが広がる後期高齢者医療制度の署名に応じる人からは、口々に「本当に、年寄りは死ねと言われているようだ」との声が寄せられました。
# by otomi_goro | 2008-04-20 08:08
 

4月17日午前11時から東京財務事務所の統括4課に要請行動をしました。私と安武さんの呼びかけに応えて周辺住民20名が参加しました。 (要請文は下記のとおり)
 席上、明らかになったことは以下の通り。
①国は3月27日付けで、現在の「未利用地」の管理について、宿舎統括課から統括第4課に移管したこと。今後の管理に対する苦情や問い合わせは統括第4課でよいこと。
②今後については、スケジュールも含めて何も決まっていない、白紙の状態だということ。
③住民から、当初「20年度には一般競争入札で売却と聞いていたが、方針が変わったのか」との質問に対しては、「そう動いていたが、今は、慎重に扱いたいという考えになっている」「23区内にこれだけの未利用地は出ないと思っている」との考えが示されました。
④また「しばらく時間がかかるということか」という問いに対しては「いろんな人のいろんな考えがあり、急展開の可能性もある」とのこと。それが「白紙」の意味だとの話もありました。
⑤要請については「お聞きする」が、東京都や板橋区の意思とならなければ地元の声として受け止めるのは難しい。
⑥南側の道路について「売却前に歩道の整備をしてほしい。それはかつて財務省が約束していたことだ」との要望に対して、「まずは区に言ってほしい」「国としては、次の計画が決まらないまま道路だけ整備することはあり得ない」との考えが示されました。
⑦暫定利用の可能性については、土地が解体したガラをならしてあるだけなので、現実的には難しい。有償なら結構だが、とのこと。
⑧都や区から非公式にも接触はないのかの問いには、板橋区からは「関心がある」と言われているとのことでした。

2008年4月17日
関東財務局御中
                      近隣住民 安武弘臣
                       (板橋区清水町52番1号)
                      日本共産党板橋区議会議員
                         小林おとみ事務所
                         (板橋区本町30-5)
        公務員宿舎清水町住宅の跡地利用についての要請書
 公務員宿舎清水町住宅(東京都板橋区清水町92番地)の整備事業は、新築工事が平成20年3月末で終了し、清水町側に生まれた20,706.52㎡にのぼる国有地は現在、仮囲いも取り払われ、更地となっています。
 私たち近隣住民は、昨年5月9日に財務省に赴き、跡地利用について、①民間に売却するのではなく、公有地として活用していただきたい。②当面、緑化と災害時の避難場所として使えるような広場として整備していただきたい。③以上のことについて、地元自治体と協議していただきたい。との3点について要請をしたところです。その際、財務省側から「国有地の売却は、地元自治体が使うことを優先している。三か月間、利用要望を受け付け、要望がない場合は、一般競争入札で売却する」との回答がありました。その後、私たちは、6月7日に東京都に、6月28日に板橋区に(板橋区に対しては3月29日についで2回目)赴き、住民要望を伝え、要請を行ってきましたが、20年度を迎えて、近隣地域では、いよいよ跡地がどうなるのか、心配の声が強く寄せられています。
当地域ではこの間、文部科学省の「ナショナルトレーニングセンター」等の建設によって、防災避難場所としての有効面積が減少し続けています。その地域で、新たに活用できる国有地が生まれるならば、国として、地元の避難有効面積の確保に充てるという立場が示されて当然ではないかという声が、上がり続けています。そこであらためて、以下の事について要請いたします。

                          記

1.国として、「売却」を前提とするのではなく、公有地としての活用を検討していただきたい。
2.当面、緑化と災害時の避難場所として使えるような広場として整備していただきたい。
3.今後の利用計画について、東京都及び板橋区と協議をしていただきたい。

尚、昨年6月に取りまとめた、近隣地域でのアンケート結果を添付いたします。
# by otomi_goro | 2008-04-18 15:35
4月15日、16日の両日、閉会中の企画総務委員会が開かれました。
15日は陳情審議で、コミュニティーバスについての3件の陳情、いたばし9条の会の「憲法9条を改定しないよう国に意見書を」の陳情、「治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を国に求める意見書を」の陳情を審議しました。いずれも日本共産党は「採択」を主張しましたが、他の会派はすべて「継続審査」とのことで、継続審査になりました。
 16日は、「区役所本庁舎南館の耐震性と基本構想策定について」と「要求監査の結果について」の2件が報告されました。
 質議の内容については後日報告します。取り急ぎ・・・
# by otomi_goro | 2008-04-18 15:32
 4月13日(日)文京区湯島の「平和と労働センター」で、治安維持法犠牲者と語り合う集いに参加しました。10名の犠牲者の方々の体験を聞いて、本当に、「この戦争は何のための戦争なか」「我々はなぜ死ななければならないのか」真剣に考えた若者たちや「我々はなぜこんなに貧しいのか、人間的な扱いをされないのか」と考えた人々の良心に、時の政府がすさまじい勢いで襲いかかったことを実感しました。思想を弾圧するというあってはならない法であることと同時に、検挙の乱用や不当な長期拘束、拷問など、当時の法によっても違法な行為が行われたこと、ほとんどの事件が「冤罪」事件であることなどを、実感しました。
 100歳になるキリスト教の信者の方は、満州事変が起きた時に教団が「満州への布教のチャンスだ」といったことに疑問を持ち、その良心に従った言動によって、監獄生活を強いられたと語りました。また、「紙芝居の研究会」やコンサート活動など楽しくサークル活動をしていた美術を学ぶ師範学校の学生たちが、ちょっとの取り調べと思ったらそのまま、調書をとられ「主義者」に仕立てあげられていった88才の方の話は、まるで現代の「冤罪」が作られる話と瓜二つでした。そうした「冤罪」によって極寒の北海道の監獄生活で凍傷に苦しんだとの話に怒りがいっぱいになりました。。「ベートーベンはコミュニストかと尋問せし特高警部の心根哀れ」との歌。どれほど愚かなことが行われたのか、「刑の受け渡しを受けざりしものとみなす」などという裁判記録を残すだけで、問題は解決されないと思いました。
 犠牲者の方々は、今国に対して「謝罪と国家賠償」を求めています。多くの方々が高齢になっている今、早期解決をと願ってやみません。そして、それは何よりも「ふたたび戦争と暗黒の時代」を作らせないための、最も確かな保障でもあるとも考えました。

治安維持法犠牲者と語り合うつどい_d0048634_1650343.jpg

# by otomi_goro | 2008-04-17 16:50

桜・まつり

花冷えや屋台の蕎麦で温もれり
町連板橋支部の桜・まつりに参加しました。お馴染みの人、久しぶりにお会いする人…。テントから呼び止められて、かつお節たっぷりのきしめんをいただいて、心も身体もとっても温まりました。
# by otomi_goro | 2008-03-30 21:46